2012年5月15日火曜日

保護者への国歌斉唱時の着席要請発言等と威力業務妨害罪・最高裁判所第一小法廷平成23年7月7日判決

事案の概要と判決の概要、そして極めて香ばしい判例解説はこちらのPDF

この刑事事件の事実関係は以下の通りである。

東京都立板橋高等学校の元教諭である被告人(X)は、希望により卒業式に来賓として出席したが、当日午前9時30分頃、会場の体育館内の保護者席を歩いて回りビラを配り始めた。それを聞いた学校側は、教頭がまず体育館に行き「保護者席にいたXに近づいてビラの配付をやめるよう求めたが、Xはこれに従わずにビラを配り終え、同席の最前列中央付近まで進んで保護者らの方を向いて、同日午前9時42分頃、校長らに無断で、大声で、本件卒業式は異常な卒業式であって、国歌斉唱のときに立って歌わなければ教職員は処分される、国歌斉唱のときにはできたら着席してほしい、などと保護者らに呼び掛け、その間、教頭から制止されても呼び掛けをやめず、Xをその場から移動させようとした教頭に対し、怒号するなどした。」「遅れて体育館に入場した校長も、Xの近くに来て退場を求めるなどし、教頭も退場を促したところ、Xは、怒鳴り声を上げてこれに抵抗したものの、午前9時45分頃、体育館から退場した。」「そして、卒業生が予定より遅れて入場し、卒業式は予定より約2分遅れの午前10時2分頃、開式となった。」

上記のXの各行為が、威力業務妨害に当たるとして起訴されたのが本事件である。

刑法234条は「威力を用いて」「人の業務を妨害した者」は、「3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」と定めている。

最高裁判所第一小法廷平成23年7月7日判決の概要は以下の通りである。
「事実関係によれば、
Xが大声や怒号を発するなどして、同校が主催する卒業式の円滑な遂行を妨げたことは明らかであるから、Xの本件行為は、威力を用いて他人の業務を妨害したものというべきであり、威力業務妨害罪の構成要件に該当する。」
本件行為の異体的態様は、
「卒業式の開式直前という時期に、式典会場である体育館において、主催者に無断で、着席していた保護者らに対して大声で呼び掛けを行い、これを制止した教頭に対して怒号し、Xに退場を求めた校長に対しても怒鳴り声を上げるなどし、粗野な言動でその場を喧嘆状態に陥れるなどしたというものである。表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならないが、憲法21条1項も、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって、たとえ意見を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されない。」
Xの行為は「その場の状況にそぐわない不相当な態様で行われ、静穏な雰囲気の中で執り行われるべき卒業式の円滑な遂行に看過し得ない支障を生じさせたものであって、こうした行為が社会通念上許されず、違法性を欠くものでないことは明らかである。」
Xの行った着席要請発言の具体的内容は、
「今日は異常な卒業式で、国歌斉唱のときに、教職員は必ず立って歌わないと戒告処分で、30代なら200万円の減収になります。ご理解願って、国歌斉唱のときは、出来たらご着席をお願いします」(判時2010号56貢、57頁)というものだった。別に呼ばれてもいない一般人が、公立校の卒業式にて、上記のような内容の発言を行い、ビラまで配っていた。卒業式にて国歌斉唱を行うことで異常な卒業式になるという思想を持つのは勝手であるが、それを子弟の卒業式という晴れ舞台を心待ちにしている保護者に向けて発する権利など到底認めることはできない。卒業式はXの思想表明の場所ではありえない。「30代なら200万円の減収になります」だと?そんなことは卒業を迎える子弟の保護者にとって、まさに知ったことではない。

このような公的行事を利用したパフォーマンス行為は厳しく禁じられるべきであるし、それを制止されて大声で勝手な思想を喧伝する行為のごときは、業務妨害罪が成立して当然である。判決において、憲法21条1項についての言及が薄いのは、本件のXの行為のごときは、そもそも表現の自由の保障範囲に含まれるものではないことがあまりにも明白であることの現れであろう。被告側から刑法35条の正当行為該当という論点が提起されたために仕方なく最低限の応答をしたためであろうが、もっと端的に被告の行為は憲法21条1項の保障範囲外の行為であるという点を明確に判示して欲しかったと思う。

このような行為が表現の自由の一環として語られてしまえば、
公立高校の卒業式という場が、日の丸・君が代を快く思わないという思想を有する輩にとって、格好のパフォーマンスとして利用されてしまうことになる。卒業を迎える子弟の保護者の中には、当然に「日の丸・君が代を快く思わない」思想に対して、極めて不快な感情を抱く方々も多数おられることだろう。また、そのような不毛な思想的対立そのものに疑問を抱く方々も多い。これらの方々の不快な思想宣伝にふれたくない自由、不毛な思想対立を回避したい自由を考えると、本件Xの行為が単純な表現の自由の行使の問題にとどまらないことが理解されるべきである。権利保障というのは、いかなる勝手がまかり通るということではありえない。

こうして、Xの身勝手なパフォーマンスは表現の自由の保障範囲の外にあることは、判示結論も示すとおり「明らか」であるといえようが、世に「憲法学者」と呼ばれる先生の間では、異論の方が多いらしい。この判例解説を執筆した長峰なる大学教授も、Xの本件行為は憲法21条1項の観点から違法性が阻却されるべきと主張する。

この長峰なる大学教授のご高説の一端を以下に示してみよう。
本件の核心には「市民に対して要請する表現の自由」があると考えられる。学校側は式次第に「国歌斉唱」を載せ、当日も全員に起立斉唱を求めたが、起立は任意との告知(表記)はしていない。他方Xは肉声にて着席のみを要請した。つまり「市民への要請」は両者異なって存在していたにすぎず、学校側は起立斉唱のみを要請し、Xは着席斉唱・着席不斉唱の二つの選択肢を提示し要請したことになる。公的機関(公職者)が市民に起立斉唱を期待し要請する場合、それ自体は一応はあり得る話としても、起立斉唱以外に選択肢がないように運営すれば、儀式という硬い雰囲気の中では実質的には強要になってしまう。都立高校はれっきとした公的機関であり、公立学校長は式主宰者として特別の影響力を有する公職者であるので、卒業式でそのような状況を作り出せば憲法違反の疑いが生じよう。他方Xには、特別の影響力や強制力はない。 その際、期待と異なる要請を他者が行なったからと言ってそれを権力的に禁ずるとなれば、市民の思想良心・表現の自由に踏み込むことになり明らかに権限臆越となる。
彼の事案分析によると、
学校側が「国歌斉唱は個々人の任意であります」と式次第に明確に記載しなかったことは、公権力側の大きな落ち度になるということらしい。そして、Xが大声で学校側の制止を振り切って香ばしい思想宣伝をおこなった事実は、「肉声にて着席のみを要請した」という風に変換されるらしい。どこをどのように変換すれば「のみ」という語句がひねり出されるのか。「のみ」という限定語句の用法を正しく理解されているのかが心配になる。

公的機関は、君が代斉唱に先立って、「ご起立ください」「帽子をとって」などの前置きをしただけで公権力による「実質的な強要」になってしまうという認識は、強要という言葉の意義を正しく理解されていないのではないかと言わざるを得ないだろう。強要であれば、刑法犯が成立する余地があるというほど、法的効果の強い語句である。法律学者が強要という字句を正常に使用できていないとすれば由々しき問題である。

他方で、「Xには特別の影響力や強制力はない」と断言されているが、ここで、公的機関が行使しうるであろう影響力と比較してXの影響力や強制力を持ち出すことに、何の法的な意味があるのか理解に苦しむ。業務妨害罪の構成要件には行為者の影響力や強制力の有無が必須の要件なのだろうか。この文脈でこそ、威力を用いた場の特性や行為者の発言態様などの具体的事情を加味して、実質的に業務が妨げられたかどうかが判断されるべきであろう。この観点からすれば、この大学教授の持ち出した、業務を妨害された側の実質的影響力と業務を妨害した側の実質的影響力と強制力の比較は法的には全く無意味である。しかも、その影響力の実質的評価を行った結論も極めて不当なものになっている。

結論部分をみてみると、期待と異なる要請を他者(X)が行ったからといって以降の文章は、さらに意味不明である。以下にいう「市民」とは誰を想定しているのであろうか。前後の文脈から想定するに、ここでいう「市民」には、公的機関によって国歌斉唱時に明確には規律不要とは伝えられなかった卒業式の出席者まで含めているような印象を受ける。この大学教授は、Xと「市民」を分けて記述しているように見えるから、このような解釈は不当なものとは言い切れないだろう。だとしたら、論理が繋がっていない。あるいは、明確な論理を敢えてぼかした疑いが残る。前者だとしたら、文章執筆能力が疑われるし、後者であればただの思想宣伝の文章を発表したものと評価して差し支えないものと思われる。「明らかに」(公的機関の)権限踰越になるらしいが、直前の文章のどこをどう読んでも、「明らかに」は説得し切れていない。

そろそろ、この日の丸・君が代問題は、特定思想の持ち主が公的行事の中で、香ばしいパフォーマンスを披瀝する自由を有するか否かの問題であるということを正しく理解した方がよい。成人式を荒らす新成人にはこのような自由が認められないのと同様に、本件Xにもかかる自由は憲法上保障されていない。

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